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柔道整復師の歴史

整骨院・接骨院の要となる「柔道整復師」。

民間資格・無資格でも開業できるマッサージ店や整体院とは違い、柔道整復師は国家資格として、厚生労働省大臣から認定を受けた学校で3年以上知識を学び、資格を習得しています。

今回は、この柔道整復師がどのようにしてできたのか、その歴史を書いていきます。

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柔道整復師の歴史は700年台から

骨や関節の手当をするということは、大宝律令(701年)に記載されています。戦国時代にも、骨や関節の専門家が、

柔道整復師の技術の起源は、中国から日本へ帰化した人たちから伝わった拳法・正骨術が「殺法・活法表裏一体の術」として日本の柔術の大元となりました。

古くは平安時代から、当時鍼博士の職にあった丹波康頼が、日本に現存する最古の医書である【医心方】に、脱臼、骨折や打撲などの施術が記載されています。

江戸時代には整骨専門書が発現

接骨の歴史上、「日本三大接骨記」というものがあります。
『骨継療治重宝記』『正骨範』『整骨新書』の3つの古書がそれにあたります。

書名 発行年(推定) 著者
骨継療治重宝記 1746年 高志鳳翼
正骨範 1807年 二宮彦可
整骨新書 1810年 各務文献

これらの書はいずれも江戸時代に発行されたとしており、骨継療治重宝記は約10種類の中国医学書の記載を引用されているため、江戸前期は中国の接骨術をメインとして影響を受けていたと伺えます。

また、整骨を行う時の施術者の心得として、「患者の気持ちも察して施術する」と書いてあります。整骨の歴史は日々変わっていますが、施術者の技術の根幹はこの時代から受け継がれていると言えるでしょう。

江戸後期からはオランダ医学書などからも影響を受けた書籍が存在しています。「正骨範」「整骨新書」ともに中国・オランダの医学書からの影響を受け、今日にもこの書に関しては現代誤訳され再販される等、柔道整復師の中では「整骨の歴史的施術」の基本として重要視されています。

明治維新を経て、整骨は一時衰退を見せる

明治時代に入り、整骨の歴史は一時終わりを迎えようとしていました。

それは、江戸時代まで続いていた中国やオランダの医書を基盤とした医学と異なり、ドイツ医学を基本とした西洋医学が主流となっていったこと、また、1874年に「医法」が交付され、1894年に太政官令によって、医師は医学卒業の証書と専門科目での研修した証書の両方を持っていないと開業ができない状態となっていました。

これにより一時、柔道整復師の行う接骨は衰退の道を歩みました。

大正9年、柔道整復術が法的根拠を得る

大正期に入り、柔道家により柔道接骨術公認請願運動が活発化し、議会への公認請願書が提出されました。そして大正9年(1920年)の「按摩術営業取締規則」の改正により、付則の中で柔道整復術の記載があり、ここから柔道整復術の法的根拠を得ることとなりました。

戦後から整骨院は復活し今の形態に

戦後には、それまでにあった法律は一新され、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が制定。1970年には柔道整復師の部分が単独で、「柔道整復師法」が成立し、1989年の改正により、厚生労働省による骨格試験が実施される運びとなり、現在の形となりました。

整骨院は今やコンビニくらい多い!?

駅周りには、様々な整骨院がありますね、実は、整骨院の数は、全国で50,364店舗あります。ちなみに、全国のコンビニの数は56,919店舗。整骨院は今やコンビニくらい多いということになってしまいます。

このようにどんどん店舗を増やす整骨院。こんな中、お客様は自分で整骨院選びをしなければいけません。「美容に強いところがいい」「腰痛に強いところがいい」等、様々な基準があると思います。数が多いということは、それだけ得意とする分野も違ってきますので、じっくりと院のホームページや口コミを見て選んでいただくのがいいと思います!

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